1860年 |
フランス マルヌ県アイに生まれる。 |
1872年 |
リセ・チェルゴに入学。デッサンを学ぶ。 |
1876年 |
父が亡くなる。パリの宝飾細工師ルイ・オーコックに弟子入りする。 |
1882年 |
フリーのジュエリーデザイナーとして独立する |
1884年 |
ヴァレンヌと共同でパリ・ヴォージラールどおり84番地に「ラリック&ヴォレンヌ社」を興す。 |
1885年 |
ガイヨン広場のジュールデスタップのジュエリー工房を引き継ぐ。 |
1886年 |
マリー=ルイーズ=ランベールと結婚。娘ジョルジョットが生まれる(1910年没) |
1888年 |
省胎七宝による最初の作品を発表する。 |
1889年 |
パリ万国博覧会にジュエリーを出品する。 |
1890年 |
テレーズ通り20番地に工房を開く。 |
1892年 |
オーギュスティーヌ=アリス=ルドリュとの間に娘シュサーンスが生まれる。 |
1893年 |
パリ装飾美術中央連合主催の宝飾コンクールで2等賞受賞。 |
1894年 |
女優サラ=ベルナールと知り合い、舞台ジュエリーを製作する。 |
1895年 |
サロンに出品。 |
1900年 |
オーギュスティーヌ=アリス=ルドリュとの間に息子マルク生まれる。
パリ万国博覧会にジュエリー作品を出品し、大変な人気を呼ぶ。 |
1902年 |
オーギュスティーヌ=アリス=ルドリュと結婚。
クールラレーヌ40番地に住宅・工房・展示サロンを兼ねた家を建築(建築家M.フェーヌ設計) |
1904年 |
アメリカ・セントルイス万国博覧会に出品。アメリカ訪問。 |
1905年 |
パリ・ヴァンドーム広場24番地に新しい店をオープン。 |
1908年 |
香水商 フランソア=コティと出会い、香水瓶の製作を提案。 |
1909年 |
パリの東方 コンブ=ラ=ヴィルのガラス工場を借り、香水瓶の製作を始める。 |
1912年 |
ヴァンドーム広場の新店舗でガラス作品だけの初めての展覧会を開く。 |
1913年 |
コンブ=ラ=ヴィルのガラス工場を買取る。 |
1920年 |
アルザス地方のヴィンゲン=シュール=モデールに新工場を建設。息子のマルクが後に工場長となる。 |
1925年 |
パリの現代装飾、産業美術博覧会(通称アールデコ博覧会)に出品。
ルネラリック館の他、「フランスの泉」という照明付噴水、各種パビリオンの内装などを手がけ大成功をおさめる。 |
1927年 |
豪華客船「イル・ド・フランス」号の内装を手がける。 |
1929年 |
オリエント急行「コート・ダ・ジュール・プルマン・エクスプレス」の内装を手がける。 |
1931年 |
パリ植民地博覧会のために巨大噴水の製作を手がける。 |
1932年 |
写真入りの「ルネ・ラリック社ガラス製品カタログ」を発行する。 |
1932〜
33年 |
東京の朝香宮邸(現 東京都庭園美術館)の入口扉および照明などを製作。 |
1932〜
34年 |
ジャージー島サンテリエの聖マタイ教会のステンドグラス・内装・扉を製作。 |
1933年 |
パリのマルサン館で大規模な回顧展が開催される。 |
1935年 |
大西洋横断豪華客船「ノルマンディー」号の一等船客用食堂の装飾・照明・天井灯などを製作する。
ロワイヤル通りに新店舗を開店する。 |
1938年 |
英国国王の公式訪問に際して、パリ市はラリックの食器セットを正式な贈答品として贈る。 |
1939年 |
第二次世界大戦勃発に伴い、二つの工場の操業を中止する。 |
1945年 |
ドイツ軍によって接収されていたあ、ヴィンゲン=シュール=モデールの工場が連合軍により解放される。
5月5日 ルネ・ラリック没(85歳)
5月8日 ナチス・ドイツ降伏 |